明日はジョンの45回目の命日...。
現在上映中のインタビュー映画をヒューマントラストシネマ有楽町で観てきました…。そう大きくない会場だったこともあり、だいたい僕と同年代の男性女性で席は埋まっていたかな…。
映画『夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩』

(シネマトゥデイ)
1980年12月に射殺されたミュージシャン、ジョン・レノンの亡くなる前の10年間を中心に、音楽活動や人物に迫ったドキュメンタリー。最後のアルバムのために秘密裏に集められたスタッフや、射殺された当日、事件直前にインタビューを行ったジャーナリストなどを取材し、ジョンとオノ・ヨーコの生活やポール・マッカートニーとの法廷闘争の詳細などが明かされる。監督を『WHO KILLED NANCY フー・キルド・ナンシー』などのアラン・G・パーカーが務める。
〜あらすじ〜
20世紀を代表するミュージシャンで平和活動家のジョン・レノン。1967年、ザ・ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインの死後、1969年3月にオノ・ヨーコと結婚し、さらに親しいジャーナリストにザ・ビートルズの離脱を伝えていた。1980年、ジョンは5年ぶりとなるアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表するが、発表翌月の12月8日、凶弾に倒れる。
劇場公開:2025年12月5日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、kino cinema新宿、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺他にて全国順次公開
© 2025 BORROWED TIME THE MOVIE LIMITED
*****************
140分の長尺でインタビュー中心のドキュメンタリー映画です。ちょっと僕もZzz...何回か僕も危なかったのですが、諸所に興味ある話が出てきて最後まで楽しむことができました。
(上映中の暗い中、イビキをかいてる人もいたぞ…)(;^_^A
正直、ジョンのファンじゃない人は睡眠必至です。
(観るのをおすすめする人)
・1980年にジョンが撃たれたときの様子を証言などで詳しく知りたいひと
・アルバム「ダブル・ファンタジー」がいかにして作られたか知りたいひと
・ジョンが1981年に予定していたワールドツアーのイメージがどんなだったか知りたいひと
~以下はネタバレが含まれるので、これから観るぞ!という人はお気をつけください~
👇
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ちょっと順不同です。
【ジョンが構想していた幻の1981年のワールドツアー】
序盤のインタビューはこの話でした。
これは実現しなかったけど、実現していたら観たかったなあ。ジョンが構想していたのはステージに複数のビデオスクリーンを用意した大掛かりなセットて、映像を上映しながら演奏をするイメージ。まだにいま、多くのアーティストが取り入れている方法。1981年にこれが実現していたら、この2025年時点でのアーティストライブはもっと進化していたに違いない。
映画のなかで、そのイメージ図が何回か出てきていたけど、これは関係者の話から作られたAIが作った映像なのかな…。
【ニクソン政権の国外退去命令】
ジョンとヨーコが米国内で行っていた様々な平和活動。ニクソン大統領は、若者に絶大な人気のある元ビートルズのジョン・レノンを警戒し(米国では1971年に18歳の参政権が認められたこともあり、10代~20代の若者が民主党に投票することを恐れた)、ジョンを“反米的存在”と見なし、国外退去命令を出します。このあたりはジョン自身のインタビュー紹介が多かったな。たまに声を出すヨーコの声がかわいい…(;^_^A。
【“失われた週末(Lost Weekend)”について】
メイ・パンとの関係などにも時間を割かれて映像が出てましたが、このあたりは2024年5月頃に上映された映画「失われた週末」で知った内容がほとんどだったかな。(こちらご参照)

【ジョンのハウスハズバンドの実態は…】
ジョンはしっかり「主夫生活」をして人生観を変えたように僕は思っていたのですが、実態は…?家政婦が複数いてショーンの育児はほぼおまかせ状態!? 「パンを焼いていた」なんてことは1度や2度(;^_^A。毎日、ギターを爪弾いたりしていた…?
ポールの“Coming Up”を聴いて、ポールは新しいサウンドに挑戦していることに嫉妬、また「どうしてポールの曲はカバーされるのに、僕の曲はカバーされないんだろう」と悔しがっていた様子...。
【Double Fantasy制作秘話...】
マスコミには内緒で進められました。スタジオミュージシャン達が集められましたが、口外することがあればその時点でサヨナラ...と厳しいものでした。
通常はレコードプロデューサーやレーベルが口を挟んでくるもの、ですが、ジョンはそれを嫌い、口出し無用ということで約束してくれたのがデヴィッド・ゲフィンだったこともあり、発売レーベルは「ゲフィン」になりました。

また、当初はジョンはすべて自分の曲で埋めたかったところ、ヨーコが「私とあなたで半分ずつ」で作ろうと提案、仕方ない妥協案は、A面がジョン、B面がヨーコ、というものでした。これが、1曲ずつ交代でレコーディングとなったのはヨーコの意見だったようです…。

【1980年12月8日の出来事...】
暗殺された日にジョンをインタビューした女性レポーターへのインタビュー。インタビュー直後に彼女の元に、「ジョンはインタビューでどんなことを話していたのか」をしつこく聞いてきたファンに遭遇。これが実は犯人マーク・チャップマンだった。女性レポーターはなんでこの時、この異常なファンについて警備員に一言言うことをしなかったのか自分の行いを悔いていました…。
ジョンが運ばれた病院(ルーズヴェルト病院)に偶然入院してたTVの報道プロデューサーや、ダコタ・ハウスの上階に住んでいる画家が、窓辺から下を見て、ジョンが倒れている様子を絵に描いていました…このあたりのインタビューは息を止めて観ていました。とても興味深いものでした…。
~あと、どんなことがあったかなぁ…。想い出したら加筆するかもしれません!
◆エンドロールでかかった曲はこの曲でした。何か関係あるのかな…。
"No More Good News" by Jo-Jo & The Teeth.
Single Release - 07 July, 2022

◆ヒューマントラストシネマ有楽町にて12月26日公開...。
「ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇」 これは観たい…(-_-;)
ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇 : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com
現在上映中のインタビュー映画をヒューマントラストシネマ有楽町で観てきました…。そう大きくない会場だったこともあり、だいたい僕と同年代の男性女性で席は埋まっていたかな…。
映画『夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩』

(シネマトゥデイ)
1980年12月に射殺されたミュージシャン、ジョン・レノンの亡くなる前の10年間を中心に、音楽活動や人物に迫ったドキュメンタリー。最後のアルバムのために秘密裏に集められたスタッフや、射殺された当日、事件直前にインタビューを行ったジャーナリストなどを取材し、ジョンとオノ・ヨーコの生活やポール・マッカートニーとの法廷闘争の詳細などが明かされる。監督を『WHO KILLED NANCY フー・キルド・ナンシー』などのアラン・G・パーカーが務める。
〜あらすじ〜
20世紀を代表するミュージシャンで平和活動家のジョン・レノン。1967年、ザ・ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインの死後、1969年3月にオノ・ヨーコと結婚し、さらに親しいジャーナリストにザ・ビートルズの離脱を伝えていた。1980年、ジョンは5年ぶりとなるアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表するが、発表翌月の12月8日、凶弾に倒れる。
劇場公開:2025年12月5日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、kino cinema新宿、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺他にて全国順次公開
© 2025 BORROWED TIME THE MOVIE LIMITED
*****************
140分の長尺でインタビュー中心のドキュメンタリー映画です。ちょっと僕もZzz...何回か僕も危なかったのですが、諸所に興味ある話が出てきて最後まで楽しむことができました。
(上映中の暗い中、イビキをかいてる人もいたぞ…)(;^_^A
正直、ジョンのファンじゃない人は睡眠必至です。
(観るのをおすすめする人)
・1980年にジョンが撃たれたときの様子を証言などで詳しく知りたいひと
・アルバム「ダブル・ファンタジー」がいかにして作られたか知りたいひと
・ジョンが1981年に予定していたワールドツアーのイメージがどんなだったか知りたいひと
~以下はネタバレが含まれるので、これから観るぞ!という人はお気をつけください~
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ちょっと順不同です。
【ジョンが構想していた幻の1981年のワールドツアー】
序盤のインタビューはこの話でした。
これは実現しなかったけど、実現していたら観たかったなあ。ジョンが構想していたのはステージに複数のビデオスクリーンを用意した大掛かりなセットて、映像を上映しながら演奏をするイメージ。まだにいま、多くのアーティストが取り入れている方法。1981年にこれが実現していたら、この2025年時点でのアーティストライブはもっと進化していたに違いない。
映画のなかで、そのイメージ図が何回か出てきていたけど、これは関係者の話から作られたAIが作った映像なのかな…。
【ニクソン政権の国外退去命令】
ジョンとヨーコが米国内で行っていた様々な平和活動。ニクソン大統領は、若者に絶大な人気のある元ビートルズのジョン・レノンを警戒し(米国では1971年に18歳の参政権が認められたこともあり、10代~20代の若者が民主党に投票することを恐れた)、ジョンを“反米的存在”と見なし、国外退去命令を出します。このあたりはジョン自身のインタビュー紹介が多かったな。たまに声を出すヨーコの声がかわいい…(;^_^A。
【“失われた週末(Lost Weekend)”について】
メイ・パンとの関係などにも時間を割かれて映像が出てましたが、このあたりは2024年5月頃に上映された映画「失われた週末」で知った内容がほとんどだったかな。(こちらご参照)

【ジョンのハウスハズバンドの実態は…】
ジョンはしっかり「主夫生活」をして人生観を変えたように僕は思っていたのですが、実態は…?家政婦が複数いてショーンの育児はほぼおまかせ状態!? 「パンを焼いていた」なんてことは1度や2度(;^_^A。毎日、ギターを爪弾いたりしていた…?
ポールの“Coming Up”を聴いて、ポールは新しいサウンドに挑戦していることに嫉妬、また「どうしてポールの曲はカバーされるのに、僕の曲はカバーされないんだろう」と悔しがっていた様子...。
【Double Fantasy制作秘話...】
マスコミには内緒で進められました。スタジオミュージシャン達が集められましたが、口外することがあればその時点でサヨナラ...と厳しいものでした。
通常はレコードプロデューサーやレーベルが口を挟んでくるもの、ですが、ジョンはそれを嫌い、口出し無用ということで約束してくれたのがデヴィッド・ゲフィンだったこともあり、発売レーベルは「ゲフィン」になりました。

また、当初はジョンはすべて自分の曲で埋めたかったところ、ヨーコが「私とあなたで半分ずつ」で作ろうと提案、仕方ない妥協案は、A面がジョン、B面がヨーコ、というものでした。これが、1曲ずつ交代でレコーディングとなったのはヨーコの意見だったようです…。

【1980年12月8日の出来事...】
暗殺された日にジョンをインタビューした女性レポーターへのインタビュー。インタビュー直後に彼女の元に、「ジョンはインタビューでどんなことを話していたのか」をしつこく聞いてきたファンに遭遇。これが実は犯人マーク・チャップマンだった。女性レポーターはなんでこの時、この異常なファンについて警備員に一言言うことをしなかったのか自分の行いを悔いていました…。
ジョンが運ばれた病院(ルーズヴェルト病院)に偶然入院してたTVの報道プロデューサーや、ダコタ・ハウスの上階に住んでいる画家が、窓辺から下を見て、ジョンが倒れている様子を絵に描いていました…このあたりのインタビューは息を止めて観ていました。とても興味深いものでした…。
~あと、どんなことがあったかなぁ…。想い出したら加筆するかもしれません!
◆エンドロールでかかった曲はこの曲でした。何か関係あるのかな…。
"No More Good News" by Jo-Jo & The Teeth.
Single Release - 07 July, 2022

◆ヒューマントラストシネマ有楽町にて12月26日公開...。
「ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇」 これは観たい…(-_-;)
ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇 : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com
コメント
コメント一覧 (8)
音時
が
しました
あの日の私は大学1年生。アパートでジョンが亡くなったことを知り、「4人が一緒になることはないんだ」となんとも言えない気持ちで過ごしていました。
作品に描かれていた「その時」にいたるまでの、あの日のできごと。たんたんと流れていくなかに、大きくて不思議な力が導いていったかのようです。
アップしてくださりありがとうございました。
音時
が
しました
映画、トップフォーティーさんならオススメです!機会あればぜひ!
音時
が
しました
音時
が
しました
音時
が
しました
正確に言えば、その日の午後の風景を。
自分は大学3年生で渋谷の喫茶店でアルバイトをしていました。
夕方、ハチ公前で配られていた新聞の号外で知りました。ショックでした。
まだ身内の死にも、正直、直面した事がない頃でしたので。
中学生の時に、ラジオでBeatlesのアルバムのほとんどを音楽番組で録音して順番のようにカセットテープで聴いていました。無我夢中になりました。その後、高校生になり全米TOP40を知り、リアルタイムで聴いた『真夜中を突っ走れ Whatever Gets You Thru The Night』。かっこよかったなあ~。この曲。
45年前になるんですよね。
音時様、映画の紹介ありがとうございます。
音時
が
しました
消えてしまい追い切れないのが実情です。土曜(12/6)も急遽都内へライヴに。
16,500円が消えました。イカンですね(自省)
ジョン・レノンの死で印象に残っていることは「甲斐バンド」が1980年12月9日に
日本武道館でライヴを行っていて、のちにNHK総合「ヤングミュージックショー」で
放映されたのを見ましたが、ライヴ本編が終わり楽屋へ戻ったメンバーが目にした
「夕刊フジ」の紙面に「レノン射殺される」の記事が。それを目にした甲斐さん。
アンコールで「逝ってしまったジョン・レノンに捧げます」と「100万ドルナイト」
を歌ったのは忘れられない記憶として残っています。
(以前はその場面も含めた動画がありましたが、今はこれだけですね。冒頭部)
https://www.youtube.com/watch?v=9qqkX-xSBho
音時
が
しました
私にとっても、45年前のことですが、忘れられない日です。
1980年12月8日、ジョンが亡くなったというだけでなく、その時の6畳のアパートのこと、友人のこと、学生生活のこと、そして彼女のこと。
ふわふわっとまた思い出してしまいました。
エルトンジョンの「empty garden」がジョンのことを謳った曲だとは知りませんでした。素晴らしい訳ありがとうございます。
音時
が
しました