5月第2週は「母の日」。
この曲“My Mother's Eyes”は1980年 全米39位のヒットとなりました。
ベット・ミドラーのこの手のバラードは染みますよね…(T_T)

Songwriter(s) Tom Jans
Released in 1980
US Billboard Hot100 #39
from the album “Divine Madness‘’
*現詞は太字
(Spoken)
I think I'll sing you a little ballad
It's a new one
I just learnt it
Oh, I hope you like it
ちょっとしたバラードを歌うわ
その曲は新曲で
私も まだ覚えたてなの
気に入ってもらえるといいのだけど…
*******:
Got my mother's eyes and my father's hair
Does anybody really care?
It's gettin' cold out here
母から瞳 父から髪をもらって生まれた私
そんなこと気にする人っている?
ここは寒くなってきたわ…
Well, I keep walkin' with my head held high
With my head to the sky
With my mother's eyes
そう 頭を高くあげて私は歩き続ける
頭を空に向けてね
母譲りの瞳を見開いて
And my mother's eyes are with me
In the darkness that's been paid for
I'm just a nameless stranger,
don't know why
don't know why
母の瞳は 私とともにある
代償を払った暗闇のなかで
私はただの 名もなき よそ者だけど
どういうわけか…
どういうわけか…
Have I seen all that I could?
Have I seen more than I should
With my mother's eyes?
見るべきものはみんな見たかしら?
私 たくさんのものを見られたかしら?
母からもらったこの瞳で…
Have I seen all that I could?
Have I seen more than I should
With my mother's eyes?
見るべきものはみんな見たかしら?
私 たくさんのものを見てきたかしら?
母譲りのこの瞳で…?
And my mother's eyes are with me
And my mother's eyes are with me
In the chilly winds of autumn
If I ain't here by winter
she'll know why
she'll know why
母の瞳は私とともにある
秋の冷たい風のなか
もし冬までに私がここにいなければ
母はその理由を知るでしょう
I've seen all that I dare
I've seen more than my share
Forgive me if I stare with my mother's eyes
日本語訳 By 音時

<母の日が5月の第2日曜日である国々>
韓国:5月8日「両親の日(オボイナル)」として、両親に感謝する。
<母の日のはじまり>(郵便局のネットショップ 「母の日の豆知識」)
フィラデルフィアに住んでいたアンナは、「母親に感謝を表す記念日」づくりのために、祝日の制定へ向けた活動をはじめました。 1907年5月12日、アンナは亡き母を偲んで教会の祭壇に白いカーネーションを飾り、翌年の1908年5月10日、母の追悼式を開いて、参列者に白いカーネーションを配りました。 これが最初に行われた「母の日」の式典とされています。
アンナに続く動きはその後、米国内に広まり、1914年に当時のアメリカの大統領ウッドロー・ウィルソンが、毎年5月の第2日曜日を母の日という記念日に制定することになりました。
◆うーん、この歌の和訳…娘の母にたいしての想いが伝わってきますが…いまいち意味のわからない箇所がしばしば。これはもう作者に聞くしかない!と思うのですが、シンガーソングライターのトム・ヤンス、1984年にすでにお亡くなりになってしまっています…(-_-;)。

◆トムのWikipediaより:
トム・ヤンス(1948年2月9日 - 1984年3月25日)は、カリフォルニア州サンノゼ出身のアメリカ人フォークシンガーソングライター兼ギタリスト。彼はおそらく「Loving Arms」(別名「Lovin' Arms」)で最もよく知られている。この曲は当初クリス・クリストファーソンとリタ・クーリッジによって録音され、ドビー・グレイ、エルヴィス・プレスリー、ペトゥラ・クラークによってカバーされた。
(中略)
見られるものはすべてを見てきた
自分の分以上に多くを見てきたの
許してちょうだい
許してちょうだい
母からいただいた瞳で じっと見つめる私を
日本語訳 By 音時

◆AIによる情報から…ですが(^_^;)、
母の日は、世界中で様々な形で祝われています。
日本と同様に5月の第2日曜日を母の日とする国も多いですが、日付や習慣は国ごとに異なります。
母の日は、世界中で様々な形で祝われています。
日本と同様に5月の第2日曜日を母の日とする国も多いですが、日付や習慣は国ごとに異なります。
<母の日が5月の第2日曜日である国々>
日本:カーネーションを贈る習慣が一般的。
アメリカ:母の日発祥の地であり、カーネーションを贈る習慣がある。
イタリア:カーネーションや花束を贈る習慣がある。
オーストラリア:花やプレゼントを贈る習慣がある。
フィンランド:ミニバラや野の花を贈る習慣がある。
トルコ:花を贈る習慣がある。
<その他の母の日>
韓国:5月8日「両親の日(オボイナル)」として、両親に感謝する。
フランス:5月の最終日曜日。
タイ:8月12日、シリキット王妃の誕生日。
イギリス:イースターの3週間前の日曜日(マザーリング・サンデー)。
スペイン:5月の第一日曜日。
スウェーデン:5月の最終日曜日。
<母の日のはじまり>(郵便局のネットショップ 「母の日の豆知識」)
フィラデルフィアに住んでいたアンナは、「母親に感謝を表す記念日」づくりのために、祝日の制定へ向けた活動をはじめました。 1907年5月12日、アンナは亡き母を偲んで教会の祭壇に白いカーネーションを飾り、翌年の1908年5月10日、母の追悼式を開いて、参列者に白いカーネーションを配りました。 これが最初に行われた「母の日」の式典とされています。
アンナに続く動きはその後、米国内に広まり、1914年に当時のアメリカの大統領ウッドロー・ウィルソンが、毎年5月の第2日曜日を母の日という記念日に制定することになりました。
◆うーん、この歌の和訳…娘の母にたいしての想いが伝わってきますが…いまいち意味のわからない箇所がしばしば。これはもう作者に聞くしかない!と思うのですが、シンガーソングライターのトム・ヤンス、1984年にすでにお亡くなりになってしまっています…(-_-;)。

◆トムのWikipediaより:
トム・ヤンス(1948年2月9日 - 1984年3月25日)は、カリフォルニア州サンノゼ出身のアメリカ人フォークシンガーソングライター兼ギタリスト。彼はおそらく「Loving Arms」(別名「Lovin' Arms」)で最もよく知られている。この曲は当初クリス・クリストファーソンとリタ・クーリッジによって録音され、ドビー・グレイ、エルヴィス・プレスリー、ペトゥラ・クラークによってカバーされた。
(中略)
コロムビア・レコードからのリリースが聴衆を獲得できなかったため、彼のキャリアは失速。ヤンスは演奏活動は続けたものの、1982年にドン・グルーシンがプロデュースしたアルバム『Champion』(日本限定でリリース)までレコーディングは行わなかった。
(死と遺産)
ヤンスは1983年、バイク事故で重傷を負い、特に腎臓に重傷を負った。1984年、薬物の過剰摂取とみられる症状で36歳で亡くなった。
◆この曲のオリジナル“Mother's Eyes”はトムの最後のアルバム「チャンピオン」(1982)のラストに収録されていた曲。このアルバムは2015年に日本でのみ初CD化されました。(芽瑠璃堂さんサイト)
“Mother's Eyes”は娘が母に歌ったのではなく、息子が母に向けて歌った歌…なんですね。

◆この曲のオリジナル“Mother's Eyes”はトムの最後のアルバム「チャンピオン」(1982)のラストに収録されていた曲。このアルバムは2015年に日本でのみ初CD化されました。(芽瑠璃堂さんサイト)
“Mother's Eyes”は娘が母に歌ったのではなく、息子が母に向けて歌った歌…なんですね。

ところで、このアルバム、なぜ日本でCD化されたか…ですが、これはおそらくこのアルバムに収録された “There’s a Champion On My Side“がオフ・コースの名曲「愛の中へ」の洋楽カバーだったから…?じゃないでしょうかね。トム、R.I.P…。
◆トムの歌った“Mother's Eyes”.
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