このブログでこれまで取り上げてきたREO Speedwagonの和訳記事はこちらです。
「ひと夏の愛(Only A Summer Love)」はギタリストのGary Richrath(ゲイリー・リチラス)の書いた作品。間奏やラストに、彼のギターソロが思い切り入っているのが気持ちいいですね!
REOのヒット曲のゲイリーの作品は大ヒットアルバム"禁じられた夜"からは"In Your Letter"や "Take It on the Run"。なかなか素敵な曲を書いています。
・・・彼は5年前の今日(2015年9月13日)、65歳で天国に召されています。今晩はゲイリーを偲んでこの曲を取り上げます。ゲイリー、R.I.P…。(Billboard Japan)
◆僕がREOスピードワゴンを聴いたのは"禁じられた夜(High Infedelity)"からでしたので、この曲の収録された1976年リリースのアルバム「R.E.O」(邦題"キープ・プッシン"は聴いたことがありませんでした。彼らの全盛期のボーカリストであるケヴィン・クローニンが本格的にボーカルに座ったアルバムがこのアルバムだったんですね。(ところで何でジャケットに毛が生えてるのか…このアルバムは通称「COW」=牝牛、って呼ばれています 笑)
◆「ひと夏の愛」は彼らのハードな曲やメロディアスな曲に交じって個性的な曲ですね。邦題を「恋」でなく「愛」にしたのは「ひと夏の恋」って割とお決まりの言葉だからなのかな。レゲエのスカのリズムのなかで"ひと夏の愛を想い出す"というノスタルジックな曲です。
この曲は"lyin' summer love"の"lyin'"にやっぱり2つの意味をかけているのかな。
1つは、夏の日、浜辺で2人横たわり(lyin')くつろいだりふざけ合ったりしたこと…。
2つは、盛り上がって「永遠の愛」を誓ったりしたけど、所詮それはお互い「嘘」。そんなふりをしてただけ。
Songwriters GARY RICHRATH
Lyrics © BMG RIGHTS MANAGEMENT US, LLC
Released in 1976
From The Album"R.E.O"
:原詞は太字
Now there's nothing left to do
but to lay my head down for sleeping
I'm weak with exhaustion and the lover's blues
and I still can't forget
those weeks I had with you
もう僕にできることは何もない
ただ横になって眠るだけさ
疲労と恋人たちの憂うつで弱ってるんだ
きみと過ごした数週間を
いまだ忘れられないんだ
But I guess it was only a summer love
Nothing too serious and nothing to last
I feel like a fool to be
longing for that lyin' summer love
でもそれは ただの夏の日の恋
真剣に受け止めるようなものじゃないし
長続きするものでもない
懐かしがってる僕は馬鹿みたいさ
二人横になっていた夏の日の恋を
Once we both loved just a bit too hard
for deep down we both knew it was dyin'
And we both talked just a little about forever
but we both knew we were doing some lyin'.
以前の僕ら二人は少しだけ愛し過ぎたんだ
でも心の底で 愛の終わりをわかってた
僕ら二人は少しだけ永遠を語り過ぎたんだ
でも僕ら2人わかってた 嘘をついていたことを
But I guess it was only a summer love
Nothing too serious and nothing to last
I feel like a fool to be
longing for that lyin' summer love
でもそれはしょせん 夏の日の恋
真面目すぎるものでも 長続きもしない
自分が馬鹿みたいさ 懐かしがるなんて
二人嘘をついていた夏の日の恋を
Now the snow falls,
freezing my hurt for you
but some nights I feel
it's still there.
I've come back now
to the life I've known before you
but I doesn't have the same old meaning.
そして今 雪が降り
きみが付けた僕の傷を凍らせている
それでも感じる夜もある
愛がまだそこにあると
僕はいま 戻ってきたんだ
きみと出会う前の人生に…
でも 以前と同じってわけにはいかないんだ
But I guess it was only a summer love
Nothing too serious and nothing to last
I feel like a fool to be
longing for that lyin' summer love
そうさ あれはただの夏の日の恋
真面目すぎるものじゃないし
長く続く恋でもない
僕は愚か者なんだよ
嘘にまみれた夏の恋を懐かしがってる
(Words and Idioms)
exhaustion=使い尽くすこと,消耗,枯渇
日本語訳 by 音時
◆あらためてバンドのバイオグラフィーをWikipedeiaで確認したら、思い出しましたよ。ケヴィン・クローニンがなんで"苦労人"だったのかを!
↓↓↓↓↓ (彼らのウィキペディアより)
(1973年)3枚目のアルバム『ライディング・ストーム』のレコーディング中、プロデューサーのビル・ハルヴァーソンの妻の真っ白なカーペットに新メンバーのケヴィンが赤ワインをこぼしてしまい、その妻が激怒。この問題を収拾する為に他の4人のメンバーは数日間の話し合いを持った。<span style="color:#FF0000"><u>結果、ケヴィンをクビにし、新しいヴォーカルを迎えるという結論に達した。今度はケヴィンがこれに激怒、クビを宣告される前に自らバンドを脱退した。</u></span>既に刷られていたアルバム・ジャケットからケヴィンの姿は綺麗に消された。残されたメンバーは3代目のヴォーカル、マイク・マーフィーを加入させ、ヴォーカルのレコーディングをし直す事になった。
(1974年)・様々なトラブルの末、3枚目のアルバム『ライディング・ストーム』リリース、全米第171位。・同年11月、4枚目のアルバム『ロスト・イン・ア・ドリーム』リリース、全米第98位。(以下略)
(1975年)5枚目のアルバム『ジス・タイム・ウィ・ミーン・イット』リリース、全米第74位。アルバムリリース後に3代目ボーカルのマイク・マーフィーが脱退。<span style="color:#FF0000"><u>バンドを離れていたケヴィン・クローニンが「キープ・プッシン」という曲のデモ・テープをバンドに送る。これがきっかけとなりケヴィンはバンドに復帰する。
(1976年)この年の1月にロサンゼルスのレコード・プラント・スタジオでケヴィンと他のメンバー4人でレコーディングを行なう。そして、このレコーディングで生まれたのが『REO』というアルバムで同年6月発売、全米第159位。この作品からケヴィンがバンドへ正式に復帰する。その後バンドは10ヶ月間のツアーを行なう。
...おいおい、プロデューサーの妻たるもの、赤ワインをこぼされたことを理由に前途有望あるミュージシャンをクビにしていい!とそう思ったんかねえ(-_-)。まあ"ケヴィン・クローニン"が"苦労人"としてへこたれないガッツが身に付いたんでしょうね!
◆年間300回を数えたツアーを行ったREOスピードワゴンは「ツアーバンド」と呼ばれました。1977年には、ケヴィンが加わったこのツアーが2枚組ライヴ・アルバムとして発売になりました。初のライヴアルバム「ライヴ~嵐の中へ(You Get What You Play For)」は全米第72位の成績で彼ら初のゴールドディスクを獲得しました!
◆"Keep Pushin"。 live at Kemper Arena 1985 ギターをかき鳴らすゲイリーの姿も…。
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