「明日」は必ず来る。希望を持とう
「明日」に橋を架けて今日を生きよう!
「明日」に橋を架けて今日を生きよう!
(Paul Simon)
Released in 1970
US Billboard Top100#1(6)
From the Album
“Bridge Over Troubled Water”
:原詞は太字
When you're weary, feeling small
When tears are in your eyes,
I will dry them all
きみが疲れ果て、途方にくれて
瞳に涙を浮かべていたら
僕がすべて乾かしてあげる
I'm on your side
When times get rough
And friends just can't be found
Like a bridge over troubled water
I will lay me down
Like a bridge over troubled water
I will lay me down
僕はきみの味方だよ
つらいときや
友達も見つからないとき
激流に架ける橋のように
僕はこの身を横たえるよ
激流に架ける橋のように
僕はきみを救い出すよ
When you're down and out
When you're on the street
When evening falls so hard
I will comfort you
きみが挫折して
ひとり街をさまよい歩くとき
夕暮れがつらく寂しいときは
僕がきみを慰めよう
I'll take your part
When darkness comes
And pain is all around
僕はきみの味方だよ
暗闇が訪れたときも
苦しみがきみを取り囲むときも
Like a bridge over troubled water
I will lay me down
Like a bridge over troubled water
I will lay me down
激流に架ける橋のように
僕はこの身を横たえよう
激流に架ける橋のように
僕はきみを救い出すよ
Sail on silver girl
Sail on by
Your time has come to shine
All your dreams are on their way
See how they shine
銀色の髪の少女よ 船を漕ぎ出そう
帆を上げて行こう
今こそきみが輝くときなんだ
きみの行く手にいくつもの夢がある
ほらみんな輝いているだろう
If you need a friend
I'm sailing right behind
Like a bridge over troubled water
I will ease your mind
Like a bridge over troubled water
I will ease your mind
友達が必要な時は
いつもきみの後ろに僕がついている
激流に架ける橋のように
僕はこの身を横たえよう
激流に架ける橋のように
きみの心をなごませるよ
激流に架かる橋のように
僕はきみの心の支えになるよ
(Words and Idioms)
take one's part= (人)を支持する、(人)に味方する
日本語訳 by 音時
◆詩の解釈もいろいろあるようなのですが、単純なラブソングにとどめておきます…。
それはそうとアルバム「明日に架ける橋」のジャケットなのですが、小学校のときに初めて見たときに、「あーあ、写真撮るの失敗ちゃって。アートガーファンクルの口のとこがポールサイモンの頭で隠れてるよ。なんで失敗した写真使うのかな」と思いました。でもやっぱりあえて使ったわけですよね。この構図もおかしい写真を。2人の仲がうまくいってなかったから…なのかな。
◆この曲は当初スタジオでレコーディングを始めた頃は2nd verseまでしかできていなかったと言います。アートの提案で3rd verseが付け加えられました。でもポールは3rd verseは1,2番とは合わないと感じたそうです。
「ボーカルを入れる段になってアーティは自分は歌いたくないないからぼくが歌うべきだと言い出したんだ。(結局アーティが歌うことになったのだが) その後、ぼくは自分で歌わなかったことを後悔したけど、ステージでアーティがこの曲を歌うと、観客はいつだって大歓声。ぼくは、どうもありがとう、これは僕が書いた曲なんだといい聞かせていたよ…」
このエピソードを聞いてしまうと、S&Gの解散はやっぱり必然だったんだな…と思いました。
「人々は次の曲を出すのが当然と考えただろうけど、ヒットすればそれだけ次作に要求されることはハードになってくる。そう考えれば「明日に架ける橋」の次作を書かずに済んでよかった、と思うよ…」
こうした当時の想いを聞いたうえで、この「明日に架ける橋」を聞いて、歌詞を味わってみるともの哀しさが...。この曲「明日に架ける橋」の終わり方は、オーケストラのサウンドが高音で精一杯伸ばして、そして消えていきます。
なんか激動の70年代の始まり、基本は「愛」なんだけど、うまくいかないこともある…僕自身はちょっとした悲しみを感じてしまう曲です。
◆セントラルパーク・コンサートより。
◆「新曲を歌うよ。Bridge Over Troubled Waterって曲さ…」
◆セントラルパーク・コンサートより。
◆「新曲を歌うよ。Bridge Over Troubled Waterって曲さ…」
◆エルトンの歌う「明日に架ける橋」。
(この記事の参考文献)
・ビルボード・ナンバー1・ヒット1955-1970上(音楽之友社)
コメント
コメント一覧 (6)
音時
がしました
サイモン&ガーファンクルのベスト盤LP(日本国内編集)が、はじめて購入したLPでした。
中学校1年か2年の時。その切っ掛けがこの曲でした。
当時の中学生はラジオを聞きながら勉強が定番。新曲や名曲とも出会っていました。
耳に入ってきたピアノのイントロ、そこで手が止まりました。
聞きながら鳥肌が立ちました。
ちなみに、「エルピー、エルピー、エルピー、エルピー・・・」
そうラジオで聞こえ、レコードの宣伝曲?と思いながら、いい曲だなあと聞き惚れたのは、
「レット・イット・ビー」だと後で知りました。
時を同じくする名曲に、それとは知らずに触れていた中学生。
意味も分かっていなくても、心が共鳴する、音楽は不思議ですね。。
音時
がしました
色んなジャンルの曲を聴くなかで、自分の好きな曲やアーティストを見つけられるといいですね。
音時
がしました
音時
がしました
その知人にこの曲を聞かせたところ、その感想というのが「俺の方が上手いんじゃないの?」というとんでもないものでした。
一瞬私も仰天したのですが、なぜそのような感想が出てきたのか、あとになってすごく納得しました。
どうもその知人が普段聞いていた音楽というのは、当時流行っていたグレイやラルクといったビジュアル系の音楽でした。
彼らのボーカルスタイルって、とにかくキーが高くてシャウトしているというものです。
そんな音楽ばかり聞いてしまうと、ファンのなかにも「シャウト信仰」といいますか「キーの高さ信仰」みたいなものが出来上がってしまいます。
その知人も普段はカラオケで、シャウトしながらビジュアル系の歌を歌いまくっていました。
そんな彼にしてみれば、囁くようで繊細なアート・ガーファンクルのボーカルスタイルが、軟弱に聞こえたんでしょうね。
その知人は当時はまだ20代半ばの、元ヤンキー系でした。
おそらく彼は、その年になるまで、あまりいい音楽を聞いてこなかったといいますか、幅の広いジャンルの音楽を聞いてこなかったんだろうな、というのがありありと伝わってきました。
そんな彼ですから、音楽を受け取る感性だって一辺倒になって、あんなふざけた感想が出てきてしまったんでしょうね。
ちなみに、その知人がカラオケで歌った『明日にかける橋』を聞いたことがあったのですが、それはもう聞けたもんじゃありませんでした。
やっぱり若いころに色々な音楽に触れておくことは、意外に大事なんだなということを痛感した次第です。
音時
がしました
そんな二人の微妙な距離感が、ヂュオ解散につながっていったのでしょうね。
中学時代付き合っていた彼女に、手書きでこの詩を書いて、贈りました・・・。
音時
がしました